人生における「やりたいこと」のプライオリティについて思うこと

「人生でやりたいこと(やりたくないこと)」みたいなトピックについて人と話しているときによく感じることを、書いてみます。

これ、あくまで「僕はこう思うからそうしてる」という話で、他の人もこうするべきという話ではありません。

人にはそれぞれいろんな事情があることはよく分かってます。

その「やりたいこと」は本当に「やりたいこと」なのか

人はけっこう誰でも「自分はこれがやりたい」もしくは「これはやりたくない」ってあるじゃないですか。

仕事で例えると分かりやすいでしょうか。
「こんな仕事がやりたい」、逆に言えば「会社行きたくない」みたいな。

人からそういう話を聞くとき、それほんとかな(というかほんとにはそう思ってないんじゃない?)と思うことが多いんですよね。

話を聞いていると、その「やりたいこと」の人生におけるプライオリティが低すぎない?と感じるんです。

「やりたいこと」があるのであれば、それができる状態をひとまずの目標にして逆算したルートを考えればいいと思うんですが、ほとんどの人はそれもあまりしないんですよね。

例えば僕の場合、人生で特にやりたいことの一つは、家族との時間をちゃんともつことでした。

そう言うとかっこよすぎるかもですが、要は家で嫁と話しているときがとても楽しいし、子どもができたら子どもと長く一緒に過ごしたいんですよ。

それは僕にとってめっちゃ「やりたいこと」なんです。

すると、今の日本でサラリーマンをしてると不都合が多いので、まずそれは辞めよう、とか。

辞めてからあんまり家の外での仕事が多すぎてもダメだから、あまりそうならない仕事をしよう、とか。

まずは「やりたいこと」ありきで、そこから逆算するわけです。

自分にそんな能力があるかどうかなんて、分からないですよ。

でもそういう自信があるかどうかよりも、自分がやりたいことは何かということが大切なんです。

その「やりたいこと」が本当にやりたいことであれば、たぶん人間、めっちゃ努力をすると思いますよ。

もしも今、話したい時に嫁とも話せない、子どもが生まれるっていう時に満足に一緒にいられない、みたいな状況だったら、自分は発狂寸前になりますわ。

それだけ「やりたいこと」がやれない状況というのは、自分にとってストレスなんです。

まあ、僕の場合、そういうストレスへの耐性が低いというのは人間的欠陥なんですが(笑)、でもそうやって逆算して行動しないのであればそれはほんとに「やりたいこと」なのかな、と思うわけです。