核戦争がまじで起こるかも、という恐怖に世界が覆われていた1962年のボルティモアが舞台。

そんな暗い時代にファンタジーを描こうとするのは、完全に『パンズ・ラビリンス』と同じ構造。

どっちが好きか、どっちの方がよりのめり込んで観てしまうかというと、これまで二度観た『パンズ・ラビリンス』の方なんだけれども。

ただ今作を2020年に家で観て、さらにパンフレット的な冊子『FOX SEARCHLIGHT MAGAZINE』(こういう冊子を作るFOX〜は映画制作会社としてとても好き)を買って読んでいたら、この作品をギレルモ・デル・トロ監督が撮った意味がやっと分かり、より深く染みた。

つまりこの作品って、トランプが大統領になって以降の2017年に公開されてるのね。

「なぜ1962年を選んだのか?」という質問に対して、監督の答えは「現在の話だからさ」「でも、現在をそのまま描けば観客は分断される。だから、昔のおとぎ話のふりをしたんだ」。

そういうことなのねー。

口がきけない主人公のイライザ(サリー・ホーキンス)、そのよき理解者は同性愛者で、仲良しの同僚掃除婦は黒人、そして祖国から捨てられるロシア人。

主人公の周りには虐げられている者ばかりで、それとザ・グレートアメリカンなストリックランド(マイケル・シャノン)との対比。

いずれも以前からアメリカに内在していたことではあるけれど、トランプ就任以降、そのタイミングで撮られたことの意味は大きいんだな。

さらに、「魚はキリストの象徴」であること、イライザが住む映画館で流れていた『砂漠の女王』は異邦人として迫害されていた女性ルツがユダヤの王ダビデの曾祖母になる(除け者が姫になる)話である、ということも知ると、この映画の味がより沁みる。

それらをあわせて振り返ると、意見を言うことができない人生を歩んできたイライザが、ファンタジーの中でこの生物と結ばれるというストーリーも、単なる恋物語以上に大きな寓意として浮かび上がる。

やっぱりギレルモ・デル・トロ監督って、どうしようもない現実の中に対抗しうる手段としてファンタジーを選ぶ姿勢が鮮明で、そこに惚れるわ。