オーシャナのグランドオープン記念パーティーで、水中写真に限定したフォトコンテストもやりました。

その日に応募してもらって、その日にオーシャナのスタッフが選出したり、インターネット一般投票を募ったり、という形式。

※受賞作品などの結果はこちらをご覧ください。
オーシャナグランドオープン記念パーティー開催! ~フォトコンの結果発表も~ | ocean+α(オーシャナ)

その賞の中に「越智隆治賞」というのがあって、これはオーシャナ代表でもある水中写真家・越智隆治さんが独断で選出する賞。
そこで選んだ写真と一緒に述べていたコメント(写真評)が印象的だったので、ちょっと記しておきます。

アーティスト目線と、ジャーナリスト目線

大前提として、越智さんが産経新聞社で報道のカメラマンをやっていてから水中写真家として独立した、というバックグラウンドがあると思います。

ご本人も言っていたのですが、越智さん的にはアーティスト目線よりもジャーナリスト目線の方が好き、とのことでした。

では、アーティスト目線とジャーナリスト目線の違いとは何か?

それは「(その場の臨場感などを)伝える」ということの違いなんだと思います。

水中写真で言えば、例えば分かりやすい例としては、一枚の写真の中に人物を入れるかどうか。
それでその場の雰囲気の伝わり方がだいぶ違う、と話していました。

それを聞いて、「なるほど、確かに」と。
今まで自分が無意識のうちに感じていながらも、それは言葉にできていなかったので、すごく腑に落ちました。

ジンベエザメに群がるダイバー

そんな越智さんが自分の賞として選出した作品。ジンベエザメに群がるダイバーたち(H.Mさん撮影)。

プロでもアマでも、「作品を作ろう」という意識の強い人は、「アーティスト目線」になる傾向が強いですよね。
それが決して悪いというわけではないのですが、特に水中写真にはそういうタイプの写真が多いと感じます。

また、細かい話をすれば、水中写真の場合、例えばモデルを写真に入れるとしても、これまでは「作品として仕上げるための一要素」としての使われ方が多かったようにも思います。
よくあるのは、ワイド写真でライトをもったダイバーが浮遊しているような写真ですね。

少数派って目立つ

写真のタイプとして「アーティスト目線」の方が多いかな、という昨今の風潮の中で(これは水中写真に限らないと思います)、「ジャーナリスト目線」な写真っていうのももっとあっていいよなあ、と思ったのです。

そもそも、アーティストタイプの写真が多い状況なら、ジャーナリストタイプの写真を撮った方が目立てて良い、ってことにもなりますよね。
(あとはそれを「いい!」と言って評価してくれる人がいるかどうか、にもなりますが)

また、こういう話を「水中写真家」である越智さんが語っている、っていうのも面白いですよね。
水中写真家って、やっぱりアーティスト気質な人は多いと思いますので。

そこが越智さんが他の人とちょっと違う気質をもった写真家である、ということの証だと思いました。
どっちが良い・悪いではないんですが、相対的に少数な方がその撮り方や考え方が目立ちはするんでしょうね。

そんな越智さんのジャーナリスティックな写真の最近の好例が、このウェブマガジンの表紙に使われてる写真。

ウェブマガジン「それでも海を信じたい」

これは越智さんの写真と、もともとジャーナリスティックなモノが好きな編集長・寺山さんの文章がうまく融合した、いい例。
(だと、これを書いてる途中で改めて思いました)