これだからノリは好きじゃない

「ノリ」というものがあまり好きじゃありません。

人の名前のことじゃなくて、「ノリがいい・悪い」の「ノリ」です。

なぜ「ノリ」がよくないと思うのか

端的に言えば、ちっとも正しくない方向に向かっていても、みんなが快感に身を委ねていてそれを誰も止められない状態だからです。

例えば戦争に向かっていくときの民意なんて、その分かりやすい例かもしれません。

もしくはもっと身近なところで言うと、僕はサッカーが好きなんですが、若者(大人でも可)がサッカーを観てる時の(間違った)「ファウル!ファウルだろあれ!」っていう盛り上がりにも同じものを感じます。

ファウルの正しいルールって、Jリーグを観ていても分かっていない選手がとても多いし、「サッカーファン」の中にも正しいルールを分かってる人ってあまり多くないです。

でも、主審が正しい笛を吹いているのに「ファウル!どう見てもファウルだろ!」と騒ぐ人はたくさんいるし、複数人で観ていてそういう状況になったらほぼ全員がそういうノリに流されがちです。

本当は間違っている(主審が正しい)ことだとしても。

気持ちは分かるんですよ。

仲間と同じ気持ちを共有することって快感だし、そこに流されがちになっちゃうよね、というのは分かります。

でも、それはやっぱり正しくはないんですよ。

「ノリ」はそれ自体を目的化する

こんな風に「正しい・正しくない」を言い出すと、「なんだ、堅いこと言いやがって」と思われることもあるかもしれません。

まあ、僕も「正しさ」を根拠にするのって、胡散臭いしあんまり好きじゃないです(笑)。

ただなんでここで「正しさ」の話をしているかと言うと、サッカーの話で言えば、ルールの正しい認識がないままノリで騒いでたら、それはもうサッカーじゃなくてもいいっていう話にならない?と思うからです。

(間違っていることなのに)ノリで騒いじゃうっていうのは、もはや「ノリで騒ぐ」こと自体か目的化しちゃってない?っていう。

それだったら騒ぐきっかけはサッカーでなくても何でもいいんじゃないか、と、そこも微妙だなと思うポイントです。

悪い「ノリ」が生まれる最大の理由は正しく導けるリーダーの不在

「ノリ」っていうのは、大人数でなくても、二人以上から生まれます。

二人の関係だったとしても、「ノリ」で間違ってる方向に行っちゃってるのに本人たちは気づかない、っていう事例は世の中に多々ありますよね。

その全てのケースに当てはまる原因としては、正しく導けるリーダー的な存在がいないからだと思います。

二人だったら、片方の人物(時と場合によって替わってもいいんですが)、複数だったらその場で何かを言える誰か。

そういう立場の人が、「正しく」(ここでもまたこの言葉を使っちゃいますが)導けるかどうかで、その場にいる全ての人が傾く方向が変わるんですよね。

サッカーの話で言えば、「いや、あれは主審が正しいんだよ」ときちんと根拠をもって言える人、ということになります。

ただ、三人以上の組織の場合だったら、その人に勇気が必要なのはもちろんのこと、その人間性や発言力にある程度の権威性が必要なんですけれども。

僕はノリから遠ざかります

まあでもそれって難しいというか、僕が好きじゃないノリって、たいていどんなグループにもあるんですよね。

だから僕はノリが発生しそうなグループからは遠ざかるようにしています。

ほんと苦手なんですよ。ノリ。

たぶん、本質に近づいていくのが好きな人間と、一時の快感に身を委ねるのが好きな人間との違いなんじゃないかと思います。

で、後者の方が一般的にはすごく多いんですよね。

でもその人たちの感覚もとても分かるので、否定はしないですよ。ただ自分は近づかない、っていうだけです。