inutaku-20150401

昨日は3月31日、今日は4月1日で、新年度の始まりですね。

僕はサラリーマンを辞めてからちょうど1年ですが、今年は身の回りにもけっこう環境が変わる人が多いです。

社会人になる人。
新しく会社を起す人。
離れた土地に移る人。

いい機会なので、僕が周りの人との関わりについて、ここ数年強く思ってることを書きます。

人との関係を数年スパンで見る

僕はここ数年、それなりに仲良い人との関係を数年スパンで捉えるようになりました。

数年スパンっていうのは、短くても1年、長いと3年~5年ぐらいですかね。

逆に言えば、短期間でのちょっとしたことは、ほとんど気にしなくなりました。

例えば4月から環境が変わる人に対しては、その環境で2~3年後にどういう人になっているのかをめっちゃ楽しみに見ようとしてしまいます。

また、離れた土地に移る人も、「寂しいな」という感情はなく、その土地に行って少し変化するかもしれないその人のパーソナリティや立場だとか、あるいは何年か後にまた自分に近いところに帰ってきたときのことを考えてしまいます。

それらはおそらく、短期的にちょっとやそっとのことでは、その人に対する自分の好意とか信頼とかが揺るがない、っていう自分なりの自信?があるからだと思います。

短期間で起こるあれやこれやも楽しいんですけれど、もっと楽しいのは、長い目で見たときに育まれる関係性とか、その中で徐々に分かってくることだとか、もしくはその人柄や自分との関係性が徐々に変わってくることだったりだなと思うようになったんですよね。

数年かけると、人との関係も収束されてくる

人と仲良くなれるかどうかって、タイミングも大きいって言うじゃないですか。

それもまた真実だと思います。

なんか予定が合わない人とか、立場的に仲良くなれるきっかけがない人とか。

ただ、数年っていう少し長いスパンで見ると、その偶然性っていうのが収斂されていって、「仲良くなれる人とはちゃんと仲良くなれる」ようになるなとすごく感じます。

また、短期的に誤解などがあったとしても、その誤解もとけるし、よりその人の本質的な部分が分かってくるようになりますよね。

そうやって、ある意味ではふるいにかけられつつ、さらに関係性も徐々に近く・濃くなってくるのが、楽しいなと思います。

ただ、そうなるために一つだけ条件があるとしたら、自分の中で少しでもいいから「意思」を持っておくことですかね。

「この人なんかいいな(仲良くなれるといいな)」というぐらい軽いものでもいいから、意思があることは大事だなとも思います。

がんばってねー

最初に書いた通り、この新年度を境に環境が大きく変わる人は、僕の周りにもけっこう多いです。

そんな人たちに対して、僕は一週間後とか一ヶ月後とかよりももうちょっと先、1年や2年、もしくは3年後ぐらいの姿を楽しみにしています。

という感じで、がんばってねー(そして自分もがんばろう)、と思っています。