自分なりに心血を注いだ半年間を記しておく
音楽ジャーナリスト・鹿野淳さんがやっている音楽メディア塾・音小屋。
僕はその第4期のイベント科に、2012年10月から2013年3月まで通っていました。
その半年間は、仕事や生活のかなりの部分を音小屋に割いていて。
自分なりにいろいろと考えながらやったことも、感じたことも、たくさんあります。
せっかくなのでそれをブログに書き記しておこうと、この「音小屋4期イベント科を振り返る」シリーズを書いてみようと思います。
なぜ今回の音小屋を受けようと思ったか
第1回となる今回は、そもそもの志望動機というか、なぜ音小屋の講義を受けようと思ったかを書いてみます。
まず前提として、音小屋の“科”について説明しておきます。
前から音小屋っていう音楽メディア塾の存在は知ってました。
ただ、3期までは、ジャーナリスト科だけの開催だったんです。
僕は、ジャーナリストになりたいとは全く思わないんですよね。
僕の父親がジャーナリストなのに主義・主張が全くない人間であることも関係してるかもしれないんですが、別に自分の考えや思想を誰かに伝えたい・影響を与えたいとはあまり思わないんです。
そういう部分での自己顕示欲は皆無と言っていいぐらいです。
それが4期からは新たにイベント科というやつが新設されて、初めて「おっ、これは行ってみようかな」と思いました。
僕自身の感覚として、ジャーナリズムよりもイベントの方が誰かに直接的に役に立てる、と感じてるフシがあるんだと思います。
自分の主義・主張を伝えることはどうでもいいんですが、誰かの役に立つこと、もっとセンチメンタルに言えば、誰かを笑わせたり感動させたりすることは好きなんですよね。
後者について、自分がより強く実感できることが、ジャーナリズムよりもイベントなんです。
前置きが長くなりましたが、なので音小屋イベント科の志望動機を簡単に言えば、音楽イベントに通ううちに自分でもそれを手がけてみたいと思ったから、です。
音楽イベント制作の現場に関わりたい
僕は本業では広告関係の仕事をしていて、これまでにイベントに携わった経験が一応あります。
ただ、その関わり方って、企画を立てることであったり、お金を調達することであったり、基本的にはプロデュース寄りの関わり方なんですよね。
イベントにはもちろん立会いますが、決して現場仕事をするわけじゃないです。
また、会社と関係ないところでも、2011年の震災後にSmile for all.というチャリティプロジェクトをやっていて、一人でチャリティ音楽ライブを企画・開催したことがあります。
その時に、自分は音楽ライブの制作現場のことを全く知らないなと痛感したんですよね。
正直、自分の適性って、プロデュース寄りの仕事だとは思っています。
ただ、当たり前なんですけれど、「現場仕事をやったことがあるプロデューサー」と「現場仕事をやったことがないプロデューサー」じゃ、ぜんぜん違うわけですよ。
なので、「自分が音楽イベントにちゃんと関わるなら現場のことは知っておかなきゃいけない」ていう強迫観念みたいなものがあって、それを音小屋で味わえるんじゃないかと思ったのでした。
音楽イベントに関わるための三つの立ち位置
音楽イベントへの関わり方って、大きく分けて三つあると思うんです。
- ライブハウスのフロア
- ライブハウスのステージ裏
- 会社のテーブルや会議室
ライブハウスのフロア
これはお客さんとして関わる、ってことで。
ここの経験や場数もあるに越したことはないと思います。
音楽に限らず、僕は「年間に100」って数字が「好き」を表す一つの目安になると思っていて。
音楽のライブやフェスだったら、「年間に100日行っちゃうぐらいなら相対的に見てけっこう好きな部類なんじゃね?」ってことです。
(200を超える人は、まじリスペクトです)
僕はここ数年は年間100日ぐらいは行っていたので、自分でも「ああ、今の自分って音楽イベント好きなんだなあ」と思ってました。
余談ですが、7,8年前には年間にスキューバダイビングを100日(=約200本)ぐらいするほど好きだった数年間がありました。
その結果、インストラクターとして働いていた期間を経て、今はオーシャナというサイトでダイビングも仕事にしてます。
僕は「仕事をするなら自分が好きで、興味をもってる分野じゃないとね」と思っていて、それを自分の中でも客観的事実として確認できるのが「年間に100」なんです。
(まあ、本業の他にダイビングも仕事にすると土日も仕事ばかりになって、自分がダイビングに行く機会がなくなるんですが。笑)
ライブハウスのステージ裏
ここが音楽イベントに携わる立ち位置の中で、自分に一番足りなかった経験なんですよね。
ここを味わうために音小屋に通った、と言っても過言ではありません、はい。
会社のテーブルや会議室
テーブルや会議室ってのは単に例えってことで、つまり企画の話やお金の話、あとは諸々の交渉事です。
もちろんメールや電話だとか、みんな含めて。
僕個人としては、本業の仕事ではここに関することばかりやっていたので、そんなに抵抗はないです。
人によってはここが一番難しいと感じることも多いかもなんですが、僕は自分がやりたいことだったら誰かに何かを説きまくったり交渉したりっていうのは、そんなに苦じゃないんですよねえ。
もちろんその業界(音楽なら音楽)で独特のルールはあるし、そこの知識もあった方がいいとは思います。
ただ、分からなかったら訊けばいいし、むしろそれより大事なのは相手への誠意だと思っているので、なんか「そこはなんとかなるだろう」と思っちゃってます。
※
と、音楽イベントに携わる立ち位置をこうして三つに分けてみると、自分に足りない部分がすごくよく分かります。
やっぱり、音楽イベント制作現場での経験。
これに尽きるわけです。
掛け合わせとしての「音楽」の可能性
当たり前のことなんですけれど、良い音楽って、知識なんかがなくても聞いてるだけで楽しいじゃないですか。
それは本当にものすごいことだと思うんですね。
それで僕は音楽好きのためのイベントにももちろん興味があるんですが、同時に、何か他のジャンルと音楽を掛け合わせることもやりたいと思ったんですよね。
先にダイビングの話をしましたが、「ダイビング×音楽」のイベントでもいいんです。
(そういうことをやりたいという話は音小屋に応募する時のエントリーシートにも書きました)
「食×音楽」でも、「アイルランド×音楽」でも、「○○×音楽」っていう掛け合わせの可能性は、無限にありますよね。
そうしたイベントを自分がやりたいと思った場合にも、やっぱり同様に音楽の現場を知ってることは必要だと思うんです。
それも見越した、経験の準備という意味合いもありました。
結論から言えば
結論から言っちゃうと、3月2日に新木場studio coastで行った音小屋の灯という音楽フェスで、僕はメインステージの担当をやらせてもらいました。
その役割分担は、全員の希望を集約した上で10月(だったかな?)に鹿野さんからみんなに言い渡されたんですが、僕の希望を叶えてくれた鹿野さんにはほんと感謝してます。
当日にメインとサブのステージ裏で味わったいろんな経験があると、それをデファクトとして次回以降を想定したり乗り越えたりできるのはほんとデカいなあと思います。
なんか第1回にして序章から結論まで飛ばしちゃいましたが(笑)、まだまだ振り返れることはたくさんあります。
続きは、第2回で。