昨日Vol.1をアップしてから、その翌日にVol.2を書くことができていて、とりあえず自分にホッとしています。(笑)

「なぜ音小屋に行こうと思ったか」について書いたVol.1はこちらをご覧ください。
音小屋4期イベント科を振り返るVol.1「なぜ音小屋に行こうと思ったか」 | いぬと海

Vol.2は、自分なりに立てていた目標について書いてみます。

音小屋

同期になる他の音小屋生に興味があったんですよ

10月初旬、音小屋イベント科としての初めての授業の冒頭で、鹿野淳さんから言われたわけです。
「2013年3月2日に新木場studio coastを押さえているから、そこでイベントをやる。赤字は出さないでくれ」と。

その最初の講義では、その他にイベント科のメンバー13人がそれぞれ自己紹介などをしました。

僕はもともと音小屋に行くと決まった時点で、他の人たちにすごく興味があったんですよ。
どんな人が受けているんだろう、と。
(それは自分の自己紹介でも言いました)

とか言いつつ、その日の夜はモーモールルギャバンのライブを入れちゃってたんですが。(笑)

これは講義が終わって、自分以外の全員が飲みに行く中で一人スタコラサッサと帰った際のツイート。

イベント科のメンバーを見渡してみて

もちろんイベント科の個々人がどうこうはこのブログ内では全く書きません。

初めて会って他の12人の“同期”を見ていて思ったのは、「想像以上にいろんな人がいるなあ」ということ。
いや、予想はしていて、正直その予想していたイメージほど変な人はいなかったんですが(笑)。
(もっとアクが強い人が多いかと思ってましたが、イベント科のみんなはほんと良い意味で普通の人が多かったです)

でも、改めて12人の実像を目の当たりにすると、やっぱり違うわけですよ。
この「今まで知り合いですらなかった13人」が一つのイベントに向けてやっていくって、こりゃめちゃくちゃ大変だぞ…と改めて思いました。

ちなみに音小屋4期イベント科のざっくりした構成は以下のような感じでした。

・社会人男:3人
・社会人女:1人
・大学(院)生男:2人
・大学生女:6人
・高校生女:1人

僕は年齢としては上から二番目でした。
(もしかしたら最年長かも、とも思ってたので、年上がいてくれてホッとしました。笑)

僕自身、お客さんからお金をもらう仕事を学生と同じ一つのチームとなってやるっていうのは初めての経験だったので、そこへの自分なりの危機感があったんですよね。
危機感というのは、「これは丁寧にやらなきゃいけないぞ…」っていうようなことでしょうか。

そこで自分なりに立てた目標

そんな12人(自分を含めると13人)を見て、その時に自分の中で一つの目標を立てました。
これは今までほとんど誰にも言ってないことなんですが。

それは、「この12人がこのプロジェクトでできれば120%、もしくは100%の力を発揮できるようにしたい」ということ。

あ、もちろん「3月2日のイベントに向かって自分が精一杯頑張る」ということは当たり前として、の話です。

みんなこの音小屋イベント科にそれぞれ強い気持ちをもってやって来てると思うんです。
で、イベントというゴールがあったとして、そこに向かって精一杯頑張りたい気持ちに全く嘘はないと思ったんですよね。

ただ、13人もの組織になると、しかもそれがゼロから作り始める組織だと、気持ちだけじゃやってられないことはたくさん出てくる予感もビシバシしてました。

そういう状況になった時、いろんな要因で一人一人が自分の持ってるものを出し切れなかったらそれは残念なことだよな…、と。

あともう一つ、より実際的な話としては、いろんな立場・視点からのアイディアと意見があった方が、絶対にイベントとしては面白くなると思ったからです。

正直、13人もいるとそれをまとめるのが大変なデメリットはあるわけですが、それでもメリットを探すとしたらその「視点の多様性」の部分だな、と。

そのアイディアや意見を誰でも言えるような環境が作れるといいなと思っていましたし、それができないなら一人(もしくは少人数)でやった方がいい、ってことになっちゃいますものね。

ここらへんは受講生である自分が考える領域のことじゃないかもしれませんが、これはもう自分の興味がそこにあるから、としか言いようがないです。
興味というか、趣味、に近いかもしれません。

目標を下方修正しましたよ

そうやって「全員が100%の力を発揮できること」を目標に講義を受けたり、日々のみんなとのやり取りをしていたんですが、いやー難しかったです。
ここの部分は、そのうち「僕が音小屋で一番難しいと感じていたこと」についても書こうと思ってるので、そこで詳しく書きます。

まあともかく難しかったんですよ。
12月ぐらいの時点では、僕はこの難しさに一人で悶絶していました。

それで、確か年明けの1月ぐらいに、自分の中で目標を下方修正することにしました。
「全員が100%の力を発揮できること」は諦めちゃいました。

下方修正した目標は、「全員がドロップアウトすることなく最後までこのイベント科にいてくれること」です。

鹿野さんも最初に明言してたんですが、この音小屋は毎月の月謝制になっていて、それは「辞めたくなったらいつでも辞められるように」とのことでした。

でもまあ、僕としてはせっかく一緒になったメンバーだから、せめて最後まで一緒にやりたいと思っていました。
正確に言えば、僕が「一緒にやりたい」のもあるんですが、途中でドロップアウトせざるを得ない状況になってしまったら、その人の中で音小屋があんまり良い記憶じゃなくなっちゃいますよね。
それはかわいそうだなというか、同じ仲間にそういう気持ちは味あわせたくないな、という気持ちがありました。

その結果としては

結果としては、イベント科は誰もドロップアウトすることなく、フェスと講義を終えることができました。

でもこのエントリで強く言っておきたいのは、それってぜんぜん僕の手柄とは思ってない、ってことです。

ただ、めっちゃ嬉しかったのは確かです。
音小屋の灯というフェスを開催できたことと同じぐらい嬉しかったです、僕の中では。

今でもよく覚えている瞬間があるんですが、僕が勝手に一番心配していた子がいたんですよ。
で、1月の下旬か2月の上旬に、その子が「犬さん、助けてください!」みたいなメールをくれたんですね(音小屋内ではなんだか犬さんと呼ばれてます)。
そのメールをもらった時に、「ああ、これは大丈夫だな、よかった」とめっちゃ安堵しました。

僕でも誰でもいいんですけど、そうやって困ったときにすぐメールを送れるんなら大丈夫だな、と。
それを確かめることができたその瞬間は、とてもホッとしたのを覚えています。

今回のお話は、音小屋で自分が感じていた難しさなどにも関係してます。
そこらへんの話もまた振り返ろうかと思ってます。