こないだ、ちょっと残念なものを見かけました。

それは途中で投げ出されてしまったとあるプロジェクトで、その実行者をここでは仮にAさんとします。
(正確に言うと、Aさんの他に何人かによるプロジェクトでした)

そのプロジェクトは「仕事」ではないので、Aさんはそれに対価をもらっていたわけではないと思います。
もともとは有志、その名の通り「志が有る人たち」が集まってやっていたのでしょう。

そんな風に途中で終わるプロジェクトなんて星の数ほどありますし、その個別の事例に大した意味はないんですが、そういうのを見ると「ああ、残念だなあ」と思うんですよね。
そのAさんたちがやりたかったこと、そこにかつては情熱があったことは伝わってくるので。
始めた時は「これ、やったら面白いよね!」って盛り上がってたんだろうなあ、とか。

それを見て、ちょっと思ったことをメモ代わりに書いておきます。

水深50センチぐらいから頭上を眺める

頭の良さとかより、情熱と行動力

結局、「何かを成す」のって、頭の良さとかよりも、情熱と行動力だと思うんです。

僕はたまに「○○をやりたいんですけど、どう思います?」という相談を受けることがあって、その人や環境に応じて答えるようにしてるんですが、結局はその人が本当にやりたいかどうかなんですよね。

情熱をもって動いてみて、初めて失敗することがあるんだと思います。
失敗しても、それが本当にやりたいことなら、何か試行錯誤して改善しようとしますよね。

情熱は人と比べることができる

人の気持ちだとかエネルギーだとかって、基本的に人と比べることはできないものですよね。

ただ、一つ比べられる指標があるとしたら、その情熱という気持ちの結果として「行動したかどうか」だと思うんです。
(「行動したかどうか」の次には「続けているかどうか」がきて、こっちはさらにハードルが高くなるんですが)

僕に「○○をやりたいんですけど」と訊く人の情熱の大きさを正確に測ることってその場ではできませんが、一つ指標があるのだとしたら、その話の後にその人が行動に移したかどうかなんだと思います。

そういう意味では、冒頭に挙げたプロジェクトは、Aさんが本当にやりたいことではなかったのでしょう。

いや、もちろん事情(言い訳)はあるんだと思いますよ。
・他の仕事が忙しかった
・続けられない特別な事情ができた
・何かイヤなことがあった
などなど。

人間なので、ある一定期間沈み込んじゃうこともあると思います。
ただ(何年かかかったとしても)そこから浮上して再びそれに着手する原動力も、そこは情熱でしかないと思うんですよね。

そんなことを思ったんでした。今日。