パタゴニア製作の映画『アーティフィッシャル』

昔からドキュメンタリーを観るのが好きです。

僕が思う「良いドキュメンタリーかどうか」を測る尺度は、そこで見せつけられた現実に対して、観た後に一種の絶望感を感じられるものであること。

その「現実」って、普段はあまり触れていないことであったり、時には無意識のうちに目を背けているものであったり。

だからこそ、時にそれに触れて人生のバランスを取ることはとても大事だと思っています。

と、前置きが長くなりましたが、そういう意味で今日、パタゴニア大崎店の上映会で観た『アーティフィッシャル』はとても良いドキュメンタリー映画でした。

パタゴニアが製作したドキュメンタリー『アーティフィッシャル』

『アーティフィッシャル(ARTIFISHAL)』というのは、「人工的な=ARTIFICIAL」という意味の単語に「魚=FISH」を組み合わせた造語。

僕が尊敬してやまない企業であるパタゴニアが製作を行ったドキュメンタリー映画です。

パタゴニア:アーティフィッシャル – 絶滅への道は、善意で敷き詰められている。

まあ「絶滅への道は、善意で敷き詰められている。」ってコピーがまず効いてますよね。

パタゴニアの公式インスタか何かで知って、「これは行きたい、というか今の自分が行かなきゃいけないやつ」と思って、都内の上映会に申し込んだのでした。

『ARTIFISHAL(アーティフィッシャル)』は、人びと、川、そして野生魚の未来とそれを支える環境のための闘いについての映画です。
本映画では、絶滅へと向かっていく野生のサーモン、魚の孵化場や養魚場がもたらす脅威、そして自然に対する私たちの継続的な信頼の喪失について追求します。

パタゴニアのインスタでの投稿より

生き物をコントロールしようとすることの誤りと経済的な損失

この映画の主要な舞台の一つは、ワシントン州。

  • 毎年数十億ドルもの公的資金を費やして、サーモンの孵化場を運営
  • それは釣り人のために、食料のために、「善意」でやってきたこととはされている
  • これまでの科学的研究によって、孵化場で生まれたサーモンを川に戻すことはむしろ野生のサーモンを減らすことにつながっていることが実証されている

ワシントン州のピュージェット湾では孵化場が稼働して、すでに100年。
いくつかのショッキングな数字も。

  • 野生のギンザケの個体数は10%に減少
  • 野生のスチールヘッドは3%に減少
  • 孵化場で生まれ時にロシアまで泳いで帰ってくるギンザケ1匹にかかる費用は最大で68,031ドル

野生の生き物を人間がコントロールしようとすることが、いかに無益で、経済的な損失(税金の無駄遣い)をしているか、ということが明かされています。

映画の冒頭で語られていた「今や全ての生物は『工業化(=industrized)』されている」という言葉も印象的。
そうなんだよなー。

僕自身、最近はNetflixで食べ物や食糧に関するドキュメンタリーを観ることも多く、そこで語られていることともシンクロしてました。

例えばこのあたりの番組。

後者は個々の特集への直リンクが貼れなかったので、番組自体のURLだけど、この中の「食肉の未来」って特集がこのテーマに近い内容。

話をこの『アーティフィッシャル』に戻します。

孵化場とあわせて登場するのが、養殖場。

特にノルウェーのサーモンのとある養殖場で、半ばゲリラ的に囲い網に近寄って水中カメラで撮った映像は衝撃的で、皮膚がはがれたり体が曲がったりして病気に罹ったサーモンが泳いでいるシーンが流れる。

その悲惨な姿は、人間の食欲と全く対極に位置するものでした。

「善意」とは言うけれど

パタゴニア大崎店での『アーティフィッシャル』上映会

上映後には少しトークイベントも

この映画のコピーにもなっている「善意」という言葉。

確かに「善意ではあるが無知であるが故に失敗している」という事象は、野生生物や環境というシーン以外にどこにでも起こるものですが、でもこの映画で描かれていることは必ずしもそれだけではないですね。

というのもつまり、孵化場や養殖場って、以下は科学的な見地からもほぼ明らかである、と。

  • 効果がほとんどないことをしている
  • そこに多額の公的資金が費やされ、コスト面でもおかしなことをしている
  • ノルウェーの養殖場の実態に至ってはもはやヤバい

ただ、こうしたことがなくならないのは、アメリカを中心としたフィッシング業界の抵抗、そしてそれでもサーモンを売りたい水産会社の思惑があるから。

それってもう「善意」とは違う話ですよね。
抜け出せない(抜け出そうとしていない)資本主義の構造の話で、仕掛けようとしてる側は意図的なわけですから。

という意味では、「絶滅への道は、善意で敷き詰められている。」というのは、コピーとしては刺さるものでいいんだけど、実際に映画を観てみると必ずしも映画の主旨に完全に沿っているものではないな、とも思いました。

人間がすべきことは、余計なことをしないこと

MiiR製のカップ

会場で寄付をしたらMiiR製のカップもらった。わーい

上記のワシントン州の事例とは異なり、希望を感じられる一例も。

モンタナ州では、州全域の孵化場を閉鎖してから4年後、野生のサーモントラウトの個体数が10倍に増えた、と。

ただこの話で偉いなと思うのは、現地の人たちがしっかりとデモを行って、それが議会に届いていること。
(映画の作りとしてそういう流れになっていて、理由はそれだけでもないんでしょうけれども)

こうやって世の中を動かせるのって、やっぱりいいなと思います。

さらに1980年に大噴火をして「山も森も川もオワタ」となったワシントン州のセント・ヘレンズ山とそこから流れる川でさえ、その翌年には野生のサーモンは戻ってきていた話も。

ただこのセント・ヘレンズ山にはもれなく絶望エピソードもセットになっていて。

大噴火で「川はもうダメだ」となって孵化場の運営を止めたらサーモンは川に戻ってきたもんだから、今度は「ワオ、川はまだ大丈夫だ!」となって孵化場の運営を再開させたら、またサーモンの量を減らした、っていう。

人間のやること、救いがない…。

結局、この映画内で科学者が語っていた言葉がそのままなのでしょう。

「サーモンも思っていると思います。人間はただ余計な邪魔さえをしないでいてくれれば、それでいい、って」

パタゴニアという企業がやっぱりすごいよ

やはりこうした環境や生物に関する話って、つまるところは「経済を中心とした、企業の問題と、それを選択しないことができない消費者の問題」に帰着することが多いですね。

その中で、やっぱりこういう映画を製作し、広めようとしているパタゴニアという企業の姿勢は、僕はほんとに神々しいと思っています。
尊敬しかない。

これもこの映画内であったんですが、孵化場のことを「いやでも地元で雇用も生んでいるから」と語る人がいたんですよね。

僕自身、「いい会社」の定義を人によく話すことが多くて、そこには「雇用を生むことや、地域の他社よりも少し良い給与をあげられること」も含めています。

ただ、やっぱりただ「雇用を生むこと」だけ目指してそれを語ることは、良くないですね。
それって経済のことしか考えていない(ように受け取られる)わけですから。

それと同時に、「例えばSDGsに代表されるような、これからの世界に必要な価値観と信念をもった上で」っていう両輪で語らないといけないな、と自省しました。

いやー、ほんと、パタゴニアっていう企業の取り組みを見返したり触れたりすると、自分の会社はほんとまだまだだな…と思うんですよね。

そう思わせてくれるパタゴニアさん、いつもありがとう。

と、この映画を見せてくれたことも含めて、最後は感謝でこのエントリを終わりたいと思います。

この映画の全編、YouTubeでも観られるようなので、よかったらぜひ。