人と話していて、「見透かされてそうで怖い」って言われることがよくあります。
主に、自分と同じぐらいの年齢か、それよりも下の人たちからですね(たまに年上からも言われますが)。
そう言わせてしまう雰囲気は、自分がたまたま持ってるものなのかもしれません(たぶん褒められた話でもない)。
ただそうやって言われる通り実際に見透かしてるかどうかと言えば、たぶんある程度は見透かしてるんだと思います。
というか、人間、5分ぐらい話せばその人のことはだいたい分かるとは思っています。
「見透かしてる」って言葉はなんかよくないですが(笑)、つまりは相手のことを分かりたいと思っていろんな情報(言葉や表情や仕草や行動など)を拾い集めて「理解したい」と思うわけです。
実際、そうやって最初に「見透かした」印象が後になって大幅に変わったことって、特にここ何年かはほとんどありません。
もちろんディテールのところで相手の意外な面を知る、みたいなことはありますよ。
でも大枠のところでのその人に対する理解が外れることは、ほとんどないです。
なので、人と会ったかなり最初の方の段階で「見透かしてる」ってことになるのかもしれません。
「見透かされてそうで怖い」と言う人に、大きな声で伝えたいこと
「見透かされてそうで怖い」って言ってくれる人は、その言葉通りどこか不安に感じてるわけなんですが、しかしそういう人に対して僕から声を大にして言いたいことがあります。
(実際、よく言ってるんですけれども)
それは、「はい、そう言われると確かに見透かしてるかもしれないけれど、それでちょっとイヤなところや醜いところを知ったところで、あなたのことを嫌いになったりしませんよ」ということです。
大事なことなので繰り返します。
イヤなところや醜いところがあったとしても、それですぐ嫌いになることなんてないですよ(だから安心してください)。
世界は「評価」と「慈愛」に満ちている
これ、僕ですら人のことは初見でだいたい分かるので、もっと優秀な人は、さらに速いスピードで、そしてさらに深く、人のことを理解しているわけです。
特に経営者とか、ある種のリーダータイプの人は、そういう能力に秀でていることが多いですよね。
そういう人たちは、毎日いろんな人のことを見て、その上で「評価」や「判断」をしているわけです。
それを考えると、なんか世界ってそんな経営者やリーダーたちの「慈愛」に満ちているな、と思うんですよね。
つまり、そういう人たちは、いろんな人の長所だけでなく短所も分かった上で、その上で最適なリードをしていこうとしてるわけで。
そこには大きな慈愛があるなー、と思います。
たとえその目的が「会社の売上を最大化するため」だったとしても、です。
なので、僕ももっと人に対して慈愛の心を豊かにもっていたいなと思うんですよね。
慈愛ですよ、慈愛。