2014年1月19日(日)から21日(火)まで、倉敷に行っていました。

倉敷の町並み

倉敷・美観地区の町並み

今回の倉敷での一番の目的は、僕がやっている海とダイビングのウェブサイト・オーシャナで講演をすること。

テーマは主に「日本の海、世界の海の素晴らしさ・面白さ」と「海の中から見た東北の復興」で、スピーカーはオーシャナ編集長の寺山さんでした。

その話はオーシャナでレポートもアップする予定なので、それはそれとして、このブログでは僕が感じた個人的な話を。

親戚の縁がきっかけ

今回は仕事として倉敷に行ったんですが、そのきっかけは僕の母方が倉敷出身だったっていうことです。

仕事で行ったのは初めてだった倉敷、そもそも小さい頃から親戚の集まりとか法事とかでよく行っていた町なんです。

親戚関連の用事で行くと、どうしても身内でのごはんとかばっかりになるんですが、今回みたいに仕事で行くと倉敷のいろんな人にお会いすることができて、それがとても楽しかったです。

自分が愛着をもっていた倉敷という町、その一つ一つの目鼻立ちみたいな輪郭がよりクッキリした、っていう感じでしょうか。

倉敷東小学校での講演

講演を聴いてくれた小学生たち

みんななんか持ち上げてくれる

そうやって倉敷で(身内以外の)いろんな人と関わって初めて感じたのが、みんな僕のことをすごく持ち上げてくれるというか、無条件に感謝してくれる、っていうことです。

というのも、倉敷という町は僕の母方の家がつくったと言っていい町で、地元の方にとっては僕の家系っていうのはそれだけで「すごい人」だったり「感謝すべき人」だったりするんです。

僕は生まれ育ったのが東京なので、地方都市のそういった感覚を肌感であまり分かっていなかったのもあるし、上で書いたようにこれまで倉敷に行っても身内とばかり接していたのもあるし、自分が倉敷の人と話すとこういうリアクションになるのか!(なんかすごい人と思われる)っていうことを初めて体感したんですね。

人間が勘違いする図式

そうやって、新しく出会う人から軒並み「ああ、あの家の…」とか「ようこそ倉敷へ」とか、3日間にわたって「お会いできただけでも光栄」みたいな扱いをしていただいて、すごく感じたことがあります。

「ああ、人間って、こういう立場になって勘違いするんだな」と。

僕は(たぶん)権威だとか名声みたいなものに普通の人よりも興味がなくて、「お山の大将」ってやつがむしろ嫌いなんですが、今回の倉敷で「お山の大将製造システム」みたいなものを目の当たりにしました。

ここで言う「お山の大将」っていうのは、限られた狭いコミュニティでみんなからチヤホヤされていい気になっちゃう、大海を知らない人、っていう意味で言っています。

でも、そういうコミュニティでみんなから「すごい人間」だって認められたりすると、知らず知らずのうちにお山の大将になっちゃうのもよく分かるなあと思います。

倉敷の町並み

親の性格のありがたみを知る

ここで僕が言及しておきたいのは、「自分だってお山の大将になってしまう可能性はすごくある」っていうことです。

そういうのって、生まれ育った環境や、それまでに関わった人たちにすごく依るものだと思うんですよね。

そういう意味で、僕はうちの両親がそういう権威や名声にまったく興味がない人間だったことに改めて感謝しないといけないと思いました。

いやー、親が“お山の大将気質”な人間だったら、自分も絶対にそうなってたと思いますよ。

まあ、お山の大将的な性格・気質が決定的に悪ってわけでもないんですが、そういう人は上や周りを見ていなかったりするし、僕はあまり面白いと思わないんですよね。
けっこう人に不快な思いをさせることもあるし。笑

全体的にそんなことを思った、倉敷での3日間でした。

こんな偉そうなこと言いながら、「なんだかあいつ最近、お山の大将っぽくね?」って思ったら、注意してください。笑

これ書きながら頭をまわってた曲は、中谷美紀の「砂の果実」でした。

あの頃の僕らが 嘲笑って軽蔑した
恥ずかしい大人に あの時なったんだね
「砂の果実」作詞:売野雅勇

倉敷3日間のもうちょっと具体的な細部についても、今回はすごくいろんな出会いがあったので、改めてブログに書かなきゃ、と思います。

よし、ちゃんと書くぞー!