内田けんじ監督の映画「鍵泥棒のメソッド」を観てきました。
内田けんじ監督はなんと言っても「運命じゃない人」を観た時に「これ、面白いなー!」と思って、それが印象的。
ただ僕のアンテナ感度が悪かったのか、その次の作品「アフタースクール」はなぜかスルーしてしまい、そして今作品を映画館で観るに至る。
(「運命じゃない人」もどんなストーリーだったかちゃんと思い出せないんだけど、面白かったって印象は強く残ってる)
ここまで演出が過剰だと映画になかなか入り込めない
観てるうちに序盤から感じたのは、ちょっと演出過剰かなあ、ということ。
例えば冒頭で広末涼子演じる雑誌編集長が「私、(相手は決まってないけど)結婚します」と宣言するシーン。
その編集部員たちの芝居がかった芝居を観て、「ああ、こういうスタイルで進むのね」と。
全般を通して、ああ、内田けんじ監督っていう人はコメディーがやりたいのね、というのがひしひしと伝わってきました。
例えば、
・広末の家族(女3人)が病院の出口でタクシー待つシーン
→3人揃って同じ姿勢でiPadだとか見てる
・香川照之演じる殺し屋が銭湯から救急車で運ばれるシーン
→救急隊員のあえてのわざとらしい芝居
・堺雅人演じるダメ男が車の中で昔の彼女の写真を見て泣くシーン
→これも少しオーバーアクション
あたりが悪い意味で印象的。
そういう演出を見ると、「あれ、これは笑ってほしいのか?」とか、あれこれ考えちゃうんですよね。
「いや、それを一周回っての、あえてなのか?」とか。
救急車のシーンは、エンドロールを見て初めてあれがラブレターズってお笑いコンビだと分かったんですが、あそこにお笑い芸人を使うんならまあそういう演技になっちゃいますよね。
でもそれで監督的にはOKなのね、とか。
ラストの抱擁のシーンでも、広末の手の振り上げ方とか、「結局この映画はコメディーしたいのか」と思ってしまうのです。
そもそもあのラストシーンの手の振り上げ方で笑う人がどれだけいるか分からないのだけど、まああれは「私、この映画は最後までコメディーやります」っていう監督の宣言のような意味合いが強いのかな、と受け取りました。
笑わせるなら笑わせるでいいんですが、僕は演出で無理するよりもシチュエーションで笑わせてくれる方が好き。
シチュエーションで笑わせるっていうのは、例えば「こういう立場の人とこういう立場の人が居合わせちゃったら面白いよね」っていう。
例えば三谷幸喜監督の場合、そういったシチュエーションを用意するのがすごくうまいと思います。
そこがこの「鍵泥棒のメソッド」の場合、(あれらの演出が笑いを意図してるものだとしたら)力技になってるのがこの映画にハマり切れない要因。
また、あれらの演出が内田けんじ監督的に笑いを意図してないものなのだとしたら、ちょっとそこの感覚はよく分からないです。
俳優の中では香川照之がやっぱりすげえ
香川照之ってほんとにどんな役でも完全に自分のものにしちゃうんですねえ。
すごい。
堺雅之は、こういうダメ男と親和性が高い印象。
ただ、堺雅之は僕が出演作品をさほど多く観てないので、こういう役以外の(例えばいかつい)役柄を演技をあまり観たことないかも。
広末涼子は、どっかの宣伝記事で「新境地を切り拓いた広末涼子」っていう紹介をされてたけど、まあ、そこまででもないかなあ…(笑)
こういうちょっと変質的な、根っこからズレてる女性編集長を演じさせたらもっと上手い人はたくさんいそう。
僕が好きな田畑智子とか(でもきっと広末クラスの人がほしかったんだろうな…)。
あ、「クワイエットルームにようこそ」に出てた時の蒼井優とかもよさそうな感じ。
あー、久しぶりに観た映画の感想をちゃんと書きましたわー。