「おおかみこどもの雨と雪」を観てきた。
って、観たのはもう3週間ぐらい前なのだけど、感想を書くのがすごい遅くなってしまった。
ネタバレ含む感想を書く前に声を大にして言いたい前提として、「僕はファンタジーが大好き」ということ。
で、この映画はファンタジーでありながら現実との接地の仕方がとても好きな塩梅だった。
冒頭から、花とニホンオオカミの末裔である彼が出会い、恋に落ちるシーンで、もう泣けてしまうんだよね。
それは僕がやっぱり未だに純粋無垢なファンタジーが好きな中二的な部分があるのもそうだろうし、高木正勝さんの音楽の効果もすごく大きい。
そんな感じで、序盤から僕はこの映画、こういうスタンスでファンタジーを捉えて描く映画に「全面的同意!」みたいな感じで観てた。
そして最後まで観終わった時に一番「いいなあ」と思ったことは、以下の一点に尽きると言っても過言ではない。
終わってみて初めて現実と矛盾なく生き続けるファンタジー
この映画って、終わってみると「あ、この世界のどこかに彼らが生きてるのかもしれない」って思えるストーリー(エンディング)なんだよね。
花は人里離れた田舎で畑を耕しているかもしれないし、
雪はしれっと人間として暮らしてるかもしないし、
雨はどこかの森を駆け回っているかもしれない。
そう信じてしまえることが、ファンタジーとしてとても幸せな結末だなあ、ってところがとても“観後感”がいい。
花の「受け入れる」強さ
「いつも笑っているように」と育てられた花。
「いつも笑っていられる」っていうことは、とても強いことだと思うのよね。
と同時に、目の前のことを変な先入観なく受け入れられるから、強くいられるし、その結果笑っていられる。
映画を観てから他人の感想を読んでた時に、「花はなぜ避妊しなかったのか?」ってところに引っかかってる人が多いことにちょっと驚いた。
それは、上で書いたように、受け入れるしなやかさを持つ花だから、ってことなんだと思う。
逆に言えば、そこに引っかかる人はちょっと大人になりすぎてるんじゃないのかなあ、とも思ってしまった。
いや、そりゃ子どもができた時のことを考えるのは大事なんだけどさ。
僕はそれを前提で観てたから、何も違和感はなかったなあ。
まあそもそもファンタジーってそういうものだし、とも思ってしまうし。
あと僕はこういう映画で雪原の上を無邪気にはしゃぎ降りたり、森の中を歩いたり、自然の中にいるシーンがあるっていうだけですごく嬉しいのよね。
(あの雪の中の笑顔、よかったなあ)
ジブリ映画(よく比べられるんだろうな…)はもうちょっと自然を神々しいものとして捉えることが多いけど、この映画ではそれよりもうちょっと人間に近いものとして自然が存在していて、そのあたりのバランスもすごく好き。
雪が降り積もったら(自分はオオカミじゃなくても)そこに飛び込んでみるとか、そういうところが花の強さだと思う。
目の前のことを楽しめることって、それはやっぱり強いってことなんだと思うのよ。
人物がそこに存在しているから、説明する必要がない
上で書いた花の性格とそれに拠る行動もそうなのだけど、一人一人の性格がしっかり表明されているから余分な説明シーンを排除できている、っていうところも映画として好きだった。
花が彼に惹かれるシーンだとかはその典型で、「(理由づけとして)ある出来事が起こる」→「登場人物の心に作用する」→「結果が生まれる(例えば恋に落ちる)」みたいな説明のステップを踏んでないのが好印象。
出来事なんて起こらなくても、ある人とある人がそこに存在さえしていれば、物語なんて勝手に転がっていくものだしね、実際にも。
その描き方って映画的には全く珍しいことでもないし、わざわざ「好き」と表明するのもなんなんだけど、ここまで商業的な規模が大きい映画でそれを選択してるっていうことが好き、という感じかなあ。
こういう世界に生きていたい
まとめとして一言で言えば、僕はこういう映画が体現してる世界に生きていたいな、と思った。
ファンタジーであるような、それでいて現実とも関わらなければいけないような。
そういう意味で、大好きな映画の一つになった。
いやー、やっぱりファンタジーが好きなんだな、わたし。