僕が大好きなバンドであるDragon Ashのメンバーである馬場育三さん(IKÜZÖNE)が亡くなった。
そのことについて、馬場さんについて、
今日中に何かを書いておかなければいけないような気がして、ここに書いてみる。
Dragon Ashのベーシスト・IKUZONEさん急死 ニュース-ORICON STYLE-より
冒頭に「大好きなバンド」と書いたDragon Ash。
より正確に言えば「同世代として特別な思いを持って見ているバンド」。
それは降谷建志さんというフロントマンの存在が大きくて、
そんな中で馬場育三さんは自分と同じ降谷建志さんのファン(フォロワー)のような、
それでいてステージ上では強烈に目立ってしまう振る舞いをするアーティストのような、
一流のエンターテイナーのような、不思議に強烈な人だった。
何年か前のROCKIN’ ON JAPAN誌で馬場育三さんが言っていた言葉がすごく印象的。
(正確ではないかもだけど、こんなことを言っていた)
「俺(たち)は一人の天才である降谷建志のファンで、
降谷建志を生かすために存在している」
馬場育三さんって、一目見ただけで分かるぐらい強烈なキャラじゃないですか。
そんな彼がここまで降谷建志のことを、バンドのことを思ってくれているところに、
僕はファンとしてとても嬉しく思ったのを覚えてる。
と同時に、こういうバンドは強いんだろうなあ、とも。
「陽はまたのぼりくりかえす」の歌詞に感動して自宅の壁に貼った、
というエピソードは今回の訃報に際しての渋谷陽一さんの記事で知った。
馬場育三、亡くなる – 渋谷陽一の「社長はつらいよ」 | RO69(アールオーロック)
馬場さんらしいエピソードだと思う。
僕と降谷建志さんはほぼ同い年で、
考えてみたら馬場さんは今の自分の上司と同じぐらいの年齢。
普通に考えて、13~14歳も年下の人を無条件にリスペクトするって、
その人に相当な器や柔らかさがないとできないよ。
●馬場育三さんとhide
僕が高校生の頃(まだDragon Ashの活動を知らなかった頃)、
一番好きだと胸を張って言えるアーティストがhideだった。
当時は今ほどライブに足繁く行く生活をしていなかったので、
hideのライブを一度も観られたことがないのは今でも心残りなのだけど。
ライブのたびにアンプにhideのぬいぐるみを置いてくれる馬場さん、
Dragon Ashのライブを観るとhideにも会えたような錯覚を覚えることも好きな瞬間だった。
これは今日の夕方の僕のツイート。
馬場さんってもちろんDragon Ashのメンバーとしてもかけがえのない人だったんだけど、それと同時に、ステージにいつもhideのぬいぐるみを置いてくれる人でもあったんだよね。DAのライブであのぬいぐるみを確認しなかった日はない。hideも再びいなくなったような気がして寂しい。
— いぬたく (@inutaku_) 4月 24, 2012
馬場さんの衣装や立ち振る舞い、そしてあのライトセーバーを観れば、
hideを尊敬しつつhideのような生き方を追っていたんだな、とよく分かる。
(もちろん馬場さんなりの歩み方で)
hideとそっくりだったのは、
アングラ臭やサブカル臭も混ぜ込みながら、最終的にはメインストリームに立ってるような、
独特の立ち位置を獲得できているところ。
ほんと、そういう人ってhideの他には馬場さんしかいなかったんだよ。
それってもしかしたら商業的にある程度の成功を収めてないと立てないポジションかもしれないし、
(これをインディーバンドでやってたらアングラ臭しかしないのかもしれない)
そういう意味ではすごく幸運なケースだったのかもしれない。
でもそんな、人の姿をしたおもちゃ箱みたいな人がいなくなってしまうことは、
本当にとても寂しいこと。
それでやっぱり上の話にもループするんだけど、
そんな誰からも縛られないような人が尊敬するDragon Ashや降谷建志さんって、
本当に幸せなんだよね。
そしてその輪を、外側からでも見て、感じていられることが僕も嬉しかった。
なんだかまとまらないし、終わりどころも分からなくなってきたけれど。
このメンバーのコメント、
メンバーからの感謝や信頼感、そして優しさが詰まっていて、もうたまらんね。
Dragon Ash Official Website : INFORMATION
Kj
俺とサクと馬場さん。3人で初めて音出した16年前から今まで、
アナタはずっと俺達のベースヒーローでした。
年上のエキセントリックなバンドマンは俺達にギターアンプのいじり方、
ドラムスティックの回し方、バンダナの巻き方、女の子の口説き方、
その全てを教えてくれました。
今思えば俺達が出会った最初のロックンローラーだったんだね。破天荒で危うい生き方を最後まで貫いて幸せな音楽人生でしたか?
俺はその傍らで声を嗄らし歌えた事、無我夢中にギターをかき鳴らせた事、
両手じゃ抱えきれないくらい沢山の思い出を共に築いてこれた事、
身が震えるほど幸せでした。続きは俺が死んだらね。向こうでまたバンド組もうぜ。
お疲れ様でした。クソほどお世話になりました。
1週間前の4月19日(木)、
Shibuya O-EASTで最後に聴いた曲は「静かな日々の階段を」だった。
それから約1週間後の小春日和に届いた、大きすぎる訃報。
草木は緑 花は咲き誇り色とりどり 四季はまた巡り小春日和
用もないのにただ 並木通り 思う今一人
ハーフタイムなんてなしに過ぎる日常 俺もなんとかここで一応
やりくりしてるわけで 時にはなりふり構わずに生きよう
むかえる朝 変わらずにまだ 陽はまたのぼりくりかえしてゆく
窓の外は南風 洗い流してこの胸の痛みまで
過ぎ去りし日の涙 時がやがて無意識の中連れ去るのなら
大事なのは光だけ あともう少しここにいたいだけ
「静かな日々の階段を」(歌詞:降谷建志)
ああ、なんか言葉にならないな。
この代表曲のベースライン、すごく好き。
これからもずっと好き。