今日、印象に残ったツイート。
若い世代の「画像を拾う/拾った」という表現に違和感を感じてた。けど、いいコンテンツが多すぎて探す必要はない、適当に落ちてるのをピックすればいい…って認識なのかもなぁ…と思ったら納得した。ネット世代にとってコンテンツってのは街道沿いの林檎や栗の木みたいなモノなのかも。
— 深津 貴之さん (@fladdict) 3月 13, 2012
写真っていうのは
「道端に落ちていて見つけるとちょっとハッピーになれるもの」
っていう感覚になってきてることが具体的に指摘されてて、腑に落ちました。
僕の立場を表明しておくと、
僕は「特殊技能のある写真家」の方をなるべく支援したいと思っています。
僕の場合、それは具体的に“水中写真家”という職業の方々です。
4月に新たにオープンするサイト・Ocean+α(オーシャナ)でも、
僕の中での一つのテーマは
「水中写真家という職業を現代でどう生かせばいいのか」
ということがあって、その試行錯誤をしていきたいと思っています。
とはいえ、世間的に上のツイートで挙げたような感覚は一般的なものになりつつありますよね。
で、写真を見る彼ら(“僕ら”も含めて)にとって「その写真を撮るために必要なスキルや苦労やコスト」って、
全く関係ないことでもあります。
そこのバランスが、今はヤジロベエのようにふわふわしていて、
まさに転換期なんでしょう。
あー、難しい。
ちなみに、僕がTumblrやPinterestにイマイチ乗り切れないのは、
どっちかというと撮影者側(著作者側)に肩入れしちゃうからです。
※TumblrやPinterestは、写真・文章・動画を共有して楽しむウェブサービスです。
ご存じない方は、例えばここらへんをご参照ください。
TumblrのReblogを個人で差し止めすることは難しい?~もし我、はてな村村長と戦わば~ – そっとチラ裏
Pinterestはどこまで合法なのか?ある女性のストーリー | サンフランシスコのWebコンサルティング会社 -ビートラックス- スタッフブログ
こういうウェブサービスは「画像を拾う」という感覚の醸成に大きく関与してますよね。
そんな感じで、写真一枚の価値が相対的に落ちていく中で、
写真家の人たちがどういうスタイルや生き方に落ち着いていくのか、
それをなるべく近い位置で見ながら、できれば一緒に考えて貢献していきたいなあ、と思う本日。