最近はSmile for all.の第1回写真展に向けて、いろんな準備をしています。
このSmile for all.、もとは友人の水中写真家・古見きゅうさんが始めたことを僕がお手伝いしているプロジェクトです。
ただ、それに関わっている以上、被災してしまった方と私たち(僕は東京に住んでいます)との距離感には常に敏感になっていないといけないと思っています。
■被災地と非被災地が同じなわけがない
例えば、「私たち」「we」という言葉には、基本的に「東京の人」と「被災地の人」を一緒にしない。
それは一つの当たり前のルールだと思っています。
だって同じなわけないですし、被災していない人が被災した人に対して(本人は同じ立場のつもりで)「一緒にがんばりましょう!」と言うのは、想像力が欠けすぎているな…、と。
でも世の中にはそういうところに鈍感なキャンペーン・プロジェクトも多くて、個人的にはなんだかなあ…と思っています。
■高崎卓馬さんが被災地に関するキャンペーンで語っていた言葉
そんなことを漠然と思っていたところ、高崎卓馬さん(クリエーティブ・ディレクター、CMプランナー)のインタビューがあり、とても共感しました。
被災地、復旧、復興という要素と関わるコミュニケーション(広告やプロモーションやプロジェクト、全てひっくるめた意味で)って、本当に難しいと思います。
その中で、一つの揺るぎない視点を正確な言葉で語っていらっしゃいます。
そのインタビューの内容を、自分メモも兼ねて書き記しておきたいと思います。
ほんとは全文載せたい・読んでいただきたいぐらいなんですが、一部を抜粋しつつ。
(「JAAA REPORTS 臨時増刊号 2010年クリエーターズ・オブ・ザ・イヤー特集」より 聞き手:添田正義さん)
どこから話しましょうか…。
僕が思うことは日々変わってきていて、同じように被災地の状況も変わっている。もはや東北の話だけではありません。過剰な自粛の結果、表現が委縮することがあってはならない。ただならぬ緊張感がテレビから流れると、かえってみんな不安になります。僕たちはそれを解きほぐしていかないと。
やはり、みんな真面目なものをやりたがって、クレームの来ないものを作りたがると思うし、それがしばらくは大勢になると思います。
でも今、能力のあるクリエイティブの人たちは、あえて楽しいものを作るべきで、変にしっとりしたもので共感を得るのではなく、子どもが無邪気に笑えるものをちゃんとつくらなくてはいけないと思います。
ここで少しSmile for all.のことを。
古見きゅうさんが「被災地の人だけでなく、非被災地の人も含めて“全ての人”に少しでも笑ってほしい」と考えてFacebookに笑顔の水中写真をアップし始めたのは、3月13日のことでした。
震災の直後にその“気配”を感じた古見さんの感覚ってすごいと思います。
(僕はそのプロジェクトを少し広めるお手伝いをしているだけです)
さて、高崎さんの言葉の続き。
僕たちは世界を優しさで包む仕事をしていて、そうできる表現はなにかを考えて作らなきゃいけない。こんな時代だからこんな温度のものを流せばいいだろう的なものは、存在が悪だと思います。たちの悪い偽善、頭で作った心のないもの、そういうものは見たくないし、必要がない。
被災や復興とは関係なくとも、自分の仕事のことをここまで語れることがすごい。
そして、「頑張ろう、○○」という広告・キャンペーンについて。
僕はあまり「頑張る」という言葉がもともと好きじゃなくて。現に頑張っている人に向かって「頑張れ」と無暗に言っても仕方ない。難しい。
広告のメッセージの受け止め方は本当に人によって様々です。そして、受け手はみんなダメージを受けている。そこに僕が自分のダメージを表現しても仕方ない。
広告において、「自分も傷ついているんです」ということを言い合ってどうするんだとも思う。がんばってほしいという気持ちをそう言わずに表現すべきなんです。
ほんとにおっしゃる通りだと思うし、ただそういったコミュニケーションを生み出すには、つくり手の心の強さがすごく求められるんだろうとも思う。
優しさを持ちながら、自分を保つ、という感じ。
また、「復旧」と「復興」の違いについても。
復旧のためには広告は無力であることを痛感しました。そしてそれはみじめでもあった。
でも復興のために、と考えると自分たちの存在価値を強く感じます。
元に戻すためにではなく、笑顔を取り戻すためにたくさんの経済効果をもたらすこと。そう考えると選択肢はたくさんある。
僕がすごく共感したこれらの言葉は、常に頭の片隅に入れておこうと思います。
いいインタビューを読みました。