2011年3月11日の東日本大震災から、今日でちょうど3年。

だいちくん(@daichi)がこんなエントリを書いていて、締めに「僕はあなたの記録が読みたい。」とか書いてるものだから、それに触発されてその日に何をしていたかを書いてみようかと思う。

2011年3月11日。僕は全裸でテレビを守った。 – daialog

名古屋と大阪への日帰り出張の日だった

その日は名古屋と大阪に会社の出張で行くことになってた。
日帰り出張の予定だった。

その朝のツイート。

そうか、こんなことが話題に挙がってたんだっけ。
今の今まで、3年間忘れてた。

まだTwitterクライアントはTweetMeも使ってたのか。
そしてiOSは4.3だったのか。

11時前に名古屋に着いて、そこで一件打合せをして、一緒に行っていた部長と二人で昼ごはん食べた。

その後、午後からは大阪へ。

ちなみに部長と二人で昼ごはんを食べることってあまりなくて、この時にこんな話をされたみたい。

そして大阪に新幹線で向かっている時に、地震が起きた。

あの地震は14:46とされてるから、それから8分後のツイート。
この時、大阪駅まであと10分ぐらいっていう地点で、新幹線は音もなくすーっと止まったのを覚えてる。

そこも震度4ぐらいは揺れたはずの地域なんだけど、新幹線の技術ってすごいんだな。

ちょうどこの時はiPhoneをいじっていて、僕がフォローしているのは関東の人が多いので、分単位・秒単位で状況がやばいことになってることが分かってきた。
(というか最初の数分間は叫びのようなツイートばかりだった)

Twittterで情報収集(って言えるほどのもんじゃないけど)をしながら、嫁が家で一人でいるので、その嫁とTwitterのDMでやり取りした。

すでにSMSや電話は死んでたので、後からよく言われたことだけどTwitterのDMが機能しててほんとによかった。
(これは少し経ってから、15:57のツイート)

この時に一番頭の中にあったのは、嫁のストレスをいかになくすか、ということ。

ストレスが頭の中の大半を占めると、正しい判断もできなくなるし、こんな状況で一人置かれた時にネガティブな思考になるとロクなことにならないから。

単にネガティブな情報だけでなく、嫁に対して「危ないから気をつけて!」とか「○○をした方がいい!」っていう声が届いているのも把握してたんだけど、で、もちろん緊急災害時にそういう備えが必要なのも分かるしそれを言う人も善意で言ってくれてるんだろうけど、嫁の性格を考えたらそういう緊迫した言葉はむしろ嫁をよくない状態に近づけるなと思っていたから、DMではそれを取り払うようなやり取りをしようと思ってた。

それと同時にTwitterのTLを見ながら「うわ、やばいな…」という思いが増してきて、新幹線も当分動かないかなと思ってたら、意外にも15:11には運転を再開してくれた。

たぶん大阪に近くて、あとちょっと走れば大阪駅に到着できる距離だったからだと思う。

同じ東海道新幹線でも、静岡県内ではかなりの時間閉じ込められてた人もたくさんいたみたいだし。

大阪に到着してから

新大阪駅に着くと、案の定、駅はとても混み合ってた。

でも想像してたほどのパニックではなくて、どちらかと言うと「単に人が多い状態」だったような感じ。

それから打合せをする場所に行って、そこのテレビで初めて、東北の火の手や津波の状況を映像として知った。

その映像を、食い入るようになのか、半ば「これは見ておかないといけない」という無言の義務感もあったのか、おそらく10分ほど見てから、打合せを行った。

泊まるホテルがない

打合せが終わって、こりゃ東京に帰る手段もないなということが確定したので、泊まる場所を探さなきゃいけなくなった。

大阪の仕事相手もホテルを探すのは手伝ってくれたりしたんだけど、なかなか見つからない中、楽天トラベルで空いてるホテルが見つかったので、取り急ぎ予約した。

それから、もともと予定されてた通りに部長と一緒に大阪の仕事相手と飲んで(僕はアルコール飲めないんだけど)、21:00ぐらいに解散し、予約したホテルに向かう。

しかし、だ。

そのホテルに着くとロビーに人が溢れていて、話を聞くとどうやら楽天トラベルの管理画面のトラブルだかホテル側の管理画面の更新ミスだか(どっちか忘れちゃった)で、オーバーブッキングされてたことが分かる。

ロビーで宿泊客のおじさんたちが激怒したりしてたんだけど、僕はそれをだいぶ醒めた目で見ていて「いや、そこ文句を言ってる場合?」って思ってた。

地震が起きてからそれまで、主にTwitterとテレビから入ってくる情報でこれはかなり未曾有の日だと思っていたので、「こんな日にホテル側に激怒してもしょうがなくね?」と。

午後に新大阪駅に着いた時からうっすら空気として感じてはいたんだけど、あの日、やっぱり距離の遠さによる当事者意識ってだいぶ違ったなと、この大阪のホテルのロビーでも思った。

その一つの原因は、情報の多寡なんだと思う。

たぶん僕はホテルのロビーに着いて、「あ、予約取れてないのね」となった時点で、「こんな日だから、ホテルのベッドじゃなくても、最悪どこかで夜を明かせればいいか」ぐらいに思ってたんだけど、あそこでホテル側に激怒していた人たちは、あの日がああいう日だっていうことをその当日は分かってなかったんじゃないかと思う。

ただ、結局そのホテルの系列店が奈良にあるということで、そこまでの往復のタクシーチケットをもらって奈良で泊まれることになった。

大阪から乗ったタクシーが意外と早く奈良に着いて、「あれ、こんなに早いんですね」「奈良までの道が開通したんですよ」なんていう話を運転手さんとしたのは覚えてる。

翌日、2011年3月12日

翌日、またタクシーチケットを使って大阪へ戻る。
確か行きも帰りも1万円ぐらいだったかな。

この日の回数券は、神アイテムだった。
ついでに、長蛇の列を尻目にお土産とか買ったのを覚えてる。

うちに帰ってまず最初にしたのは、嫁を散歩に連れて行くことだった。

2011年3月12日の東京の晴れた空は、いつもと変わらない眩しい青空だった。
その眩しさだとか、青さだとか、よく覚えてる。

上でも書いた関東と関西での温度感の違い、この日に感じたこととしてツイートしてた。

もちろん余震もまだまだあって、でも僕は生まれつき楽観的なところがあって、こんなツイートしてた。

でも自分のTwilogを見ると、この月はツイート数が多くなってたことが分かる。
やっぱり何かの言葉を発したりしたかったのかな。

以下が2011年の各月別ツイート数。

2011年12月:1122
2011年11月:948
2011年10月:934
2011年09月:850
2011年08月:1099
2011年07月:891
2011年06月:813
2011年05月:1038
2011年04月:1125
2011年03月:1239
2011年02月:1164
2011年01月:1193

以上、僕にとっての2011年3月11日と、その翌日でした。