今日、こんなことを思ったんですが、自分でツイートしておいてほんとその通りだよな…と。

人にメールを書いてる時とか、あるいは日常的にTwitterで何かをつぶやいている時とか。
それは全て自分の思考の断片なんですよね。

なので、そのうちの一つの短文を挙げて、そこにまつわることでも書けば、それだけでブログの1エントリの出来上がり。

そんな10分ぐらいで出来ることをなぜしないのか、と。

いや、僕の中の言い訳悪魔からは「とは言っても忙しいんだよ」とか「書き始めるところが最大の壁だっつーの」とかいろんな声が聞こえてくるんですが。(笑)

まあできる時はしてみようということで、このエントリに至る。

早速ひとつの例を挙げてやってみます

例えば、少し前のこのツイート。

まあもうこのツイートだけで完結してるっちゃしてるんですが、少し補足してみます。

要は、「懲悪意識」みたいなやつが苦手なんですよ。

「言ってやった」っていう言葉が使われるケースは、例えばこんな時。

「あのお店、接客がなってないから文句を言ってやったのよ」
「後輩がぜんぜん学習しないから、久しぶりに説教を言ってやった」

もちろん「言ってやっちゃう」気持ちは分かるんですよ。
ひどい接客・サービスのお店に出くわしたら、文句も言いたくなる気持ちは分かります。

ただ、事後に「言ってやった」って言葉を発して誰かに報告する時に、その人の中では「自分は100%正しい」ってことをほぼ疑ってないんじゃないですかね。

それがなんか苦手なんですよねー。

自分が100%正しいと思ってる人は怖い

僕は「100%自分が正しいと思う」っていうことにとてもアレルギーがあって。

自分がどんなに自信があることでも、「それでも自分は間違ってるかもしれない」っていう余地を心のどこかに残しちゃうんですよね。

100%自分が正しいと思ってる人間って、怖いですよ。

そういう人って議論の余地がなかったりするし。
人の意見を受け入れなかったりするし。

でも、100%自分が正しいと思うことって、ラクなんですよね。

だから人間、そっちに流されがちになるのも分かるんですけれど、それでも僕はそうなりたくないな、っていう。

こんな偉そうなことを書いてますが、普通に友達との会話では勢い良く「まじあり得ないよねー!」とか言いますよ。
そんなに聖人君子なわけではないですから。