今日、こんなことを思ったんですが、自分でツイートしておいてほんとその通りだよな…と。
人に対してメールで書いてる自分の考え方みたいなことをそのままブログに転載気味にアップするだけでもエントリとして成り立つのに、なんでそれをやらないのかという自分への問いかけ。
— いぬたく (@inutaku_) October 16, 2013
人にメールを書いてる時とか、あるいは日常的にTwitterで何かをつぶやいている時とか。
それは全て自分の思考の断片なんですよね。
なので、そのうちの一つの短文を挙げて、そこにまつわることでも書けば、それだけでブログの1エントリの出来上がり。
そんな10分ぐらいで出来ることをなぜしないのか、と。
いや、僕の中の言い訳悪魔からは「とは言っても忙しいんだよ」とか「書き始めるところが最大の壁だっつーの」とかいろんな声が聞こえてくるんですが。(笑)
まあできる時はしてみようということで、このエントリに至る。
早速ひとつの例を挙げてやってみます
例えば、少し前のこのツイート。
「言ってやった」って言葉がとても苦手なのは、それを言っちゃう人のメンタリティがどうにも好きになれないからだなあ。
— いぬたく (@inutaku_) October 7, 2013
まあもうこのツイートだけで完結してるっちゃしてるんですが、少し補足してみます。
要は、「懲悪意識」みたいなやつが苦手なんですよ。
「言ってやった」っていう言葉が使われるケースは、例えばこんな時。
「あのお店、接客がなってないから文句を言ってやったのよ」
「後輩がぜんぜん学習しないから、久しぶりに説教を言ってやった」
もちろん「言ってやっちゃう」気持ちは分かるんですよ。
ひどい接客・サービスのお店に出くわしたら、文句も言いたくなる気持ちは分かります。
ただ、事後に「言ってやった」って言葉を発して誰かに報告する時に、その人の中では「自分は100%正しい」ってことをほぼ疑ってないんじゃないですかね。
それがなんか苦手なんですよねー。
自分が100%正しいと思ってる人は怖い
僕は「100%自分が正しいと思う」っていうことにとてもアレルギーがあって。
自分がどんなに自信があることでも、「それでも自分は間違ってるかもしれない」っていう余地を心のどこかに残しちゃうんですよね。
100%自分が正しいと思ってる人間って、怖いですよ。
そういう人って議論の余地がなかったりするし。
人の意見を受け入れなかったりするし。
でも、100%自分が正しいと思うことって、ラクなんですよね。
だから人間、そっちに流されがちになるのも分かるんですけれど、それでも僕はそうなりたくないな、っていう。
こんな偉そうなことを書いてますが、普通に友達との会話では勢い良く「まじあり得ないよねー!」とか言いますよ。
そんなに聖人君子なわけではないですから。