某所で、「カッコいい社会貢献」という宣伝コピーを見かけました。

これは「社会貢献しようよ!」と呼びかけて人を集めるために使われていた宣伝コピー。
ただ、僕はその言葉にちょっと違和感を感じたので、ブログに書いてみます。

人の目を気にする社会貢献

その違和感の正体から先に言えば、「思いっきり人の目を気にしてません?」という点。

もうちょっと言えば、「カッコいいからするの?」とか、「人からカッコよく思われたいから社会貢献するの?」とか。
(わたしがひねくれてるからそう感じる部分もあるのかなあ)

この違和感を感じて思い出したのが、こないだ読んだサカナクション・山口一郎さんに音楽ライター・柴那典さんが行ったインタビュー。

山口さんがTwitterで「「音楽を手に入れるときはCDですか? 配信ですか? その他の方法ですか?」と問いかけた時に返ってきた答えが、圧倒的にCDが多かった、と(Twitterのトレンドワードに“CDです”っていう言葉が載るぐらい)。

その現象やユーザーとしての心境を、山口さんはこう分析してました。

山口「もうひとつは、そういう人はみんな、自分がCDを買ってる、CDで音楽を聴いているってことを言いたいんですよね」
――そのことで音楽好きな自分をアピールするという?
山口「そう。僕に返信することで、自分のフォロワーに対しても示している。」

山口一郎 | TheFutureTimes

最近は学生さんの就職志望先にもNPOなどが増えている、という話を聞きますが、どこか似た部分はあるんじゃないかなあと思いました。

つまり、「社会貢献している自分」を人にも見せたい、っていう。
だから「カッコいい社会貢献」という言葉が、彼らの心に刺さるコピーとして生まれるんじゃないでしょうか。

その「やりたい」と思う気持ちの向かっている先は、本当に社会貢献する対象に向かってるのか。
とか、
周りの人たちから見た「社会貢献してる自分」っていうイメージの構築にも向かってるんじゃないか。
とか、
細かいことをグダグダ言ってしまうと、そんなあたりも気になってしまいました。

思いを口にするのは悪いことではないのだけれど

ただ、「自分がやりたいこと」とか、「なりたい自分」について口にするのは、決して悪いことばかりではないと思っています。

僕自身、「言霊」のようなものの力は信じているところがあるし、「なりたい自分」を口にしているといつの間にかそうなれていたりするとも思います。

なにより、「自分がやりたいこと」を口にしていると、周りに仲間とかアイディアとかが集まってくる、という実益的な効果もとてもあるでしょう。

なので、「カッコいい社会貢献(してますよ、自分!)」と宣言するのも、個人的に「うーん…」と思いはせよ、それが悪いとも言い切れないとは思います。

自分の仕事やバイトにはたぶん誇りを持てていない

震災以降、ソーシャルメディア上でも社会貢献をしている投稿を目にする機会はかなり増えたと感じています。

もちろん、上に書いたように自分がやっている行動を示すことで仲間が増え、それが貢献の対象に役立つことにつながるなら、それは素晴らしいことだと思います。

ただ、僕が「なんだかな…」と思うのは、普段の仕事やバイトに対して胸を張っている人がやけに少ないことです。
つまり、仕事外(勤務時間外)で社会貢献している自分の姿はアピールしたいと思えるけれど、日常生活や自分の仕事(本業)に対して頑張っている姿は、おそらく多くの人が「カッコいい」とは感じていないんですよね。

たぶんそこが満たされていないから、「他でカッコいいことしたい」→「カッコいい社会貢献」っていうコピーが生まれることにつながるんだろうなあ、と。

だから、本業の仕事や、多くの時間を割いているアルバイトで、自分が本当にやりたいこと・やっていて胸を張れることをできることを目指す方が、その人にとってよりハッピーな時間が増えるんじゃないかと思うんですよね。