「最強のふたり」というフランス映画を観てきました。
いやはや、「最強のふたり」って、口に出して言うのがこっ恥ずかしくなるほどのタイトルですね。
この映画のことを人と話してる時に「ジャッキー・チェンの映画みたいだな」と言われたことがありましたが、その場合は「最強の二人」っていう文字面のイメージで、それはそれで成り立つような気もするんですが、「最強のふたり」って平仮名にひらいちゃうとなると、なんだかもう…という感じです。
ちなみに原題はフランス語で「Intouchables」。
これは「toucher=触れる、コンタクトする(英語のtouch)」という動詞が元になっていて、「本来は触れるはずのない二人」みたいな意味です。
予告編は面白そうだったので、「これはタイトルは悪いけど内容は良い映画ってパターンかな」と思って観てきました。
毒がありそうで、巧妙に抜かれている
僕がこの映画にさほど引っかからなかったのは、おそらく毒(クセと言ってもいいかも)が要所要所では巧妙に抜かれてるからだと思います。
つまり、普通の映画になってるんですよねえ。
「フランスの」映画がヒットしてたっていう部分に、ちょっと期待し過ぎていたのかもしれません。
ちょっと毒が混じってるんじゃないかしら、とか。
ミュージカルを初めて観る黒人のドリスが「あれ、どうしちゃったの?」と素直に突っ込むシーンだとか、ドリスが描いた絵が現代アートとして1万ユーロ以上で売れてしまったりとか、「富のおかしさ」を描くシーンはそれぞれ面白いんですが、そこから一歩超えないんですよね。
黒人のドリスが暮らす環境は現代フランス(に限らずヨーロッパ全域でそうなのかな)にある問題を象徴しているし、障害者フィリップの性の問題もきっちり描いたりするあたりの姿勢は好きなのですが、最終的な仕上げとしては「感動」に向かうわけで。
僕も例えば「8人の女たち」ほどのスパイスを求めていたわけではなく、基本的には感動しようと思って観てたんですが、その感動が期待値ほどではなかったですねー。
その理由は、やっぱり作り手側が「感動」にベクトルが向かいすぎてるからなんじゃないかと思います。
ラストシーンは好き
ラストでフィリップが長年の文通相手と出会うシーンは、この映画のクライマックスだけあってよくできてるなーと思いました。
ドリスがフィリップを一人だけ残して、「あとは上手くやれよ」みたいな感じで立ち去るんですが、窓ガラスを一枚こえた外側を歩いているのがポイント。
長年の文通相手が来て全てを悟ったフィリップが、視線を少し斜めに移してドリスを観る、それがこの映画を最もよく表していて良いシーンでした。
あそこで初めて会えた文通相手をまじまじと見つめるのではなくて、窓ガラスの向こう側のドリスの方を見る、その行為ができるようなロケーションの海辺のレストランを選んだ監督・スタッフの技あり、という感じ。
あれは良いシーンだったなー。
ただ、エンドロール前に実物の(?)二人が少しだけ映ったんですが、あれはなくてもよかったんじゃないか、と。
それまで観ていたドリス&フィリップ像が、あれで急にゆらぐんですよね。
「実際の話に基づいた」ってところをそんなに疑ってるわけじゃないので、そこは別に見せなくてもいいんじゃないかと思いました。
余談:翻訳者が出てなかったのはなぜ
珍しいフランス映画の大作なのでエンドロールの最後の翻訳者を見てみようと思っていたんですが、なぜか名前が出なかったんですよね。
エンドロールの途中で出てたのかもですが、通常は最後に出てきますよね。
出したらいいのにーと思いました。
例えば冒頭、「紹介状」を求められたドリスが最近の音楽のオススメを答えるボケをかますシーンがありました。
これは「référence」(元の意味は「参考」や「お任せ」)という言葉にかけたボケなんですが、そこの字幕はもうちょっと分かりやすくかかってることを書かないと伝わらないよなあ…と。
ただ、上でも書いた、ミュージカルを見たドリスの「どうしちゃったの?」っていう翻訳は秀逸。
ドリスのお茶目さと素直さがとても上手く表現されてて、おかげさまでこのシーンで一番笑いました。
※2012/10/02 0:03追記
一緒に見た嫁の話では、エンドロールの途中で訳者の名前が出ていたみたいでした。
これもどうでもいい話だけど
この映画の公式ウェブサイトやフライヤーには、「最強のふたり」っていう邦題の下に「UNTOUCHABLE」っていう英語が書かれてるんですよね。
さも原題かのように登場してるのだけど、原題は「Intouchables」っていうフランス語なわけで。
この英語のポジションが謎。
こういうコミュニケーション上の齟齬ってやけに気になってしまいます。