ハヤトは、「そこに山があるから登る」というわけではなかった。
彼は、他にやることがないから、山にばかり登っていた。
ハヤトは、山に対して、ロマンと呼ばれる類のものを感じたことがなかった。
山とは、単なる暇潰しの場所であり、
彼と同年代の若者にとってのコンビニと変わりはなかった。
それでも、彼は山を登ることに苦痛を感じたことがなかった。
彼の友人にとって漫画の立ち読みが苦痛でないのと同じように。
ハヤトは、誰よりも早く、そして誰よりも安全に、山を登る術を心得ていた。
才能は、時として本人が望まない領域で与えられることがあるのだ。
ほぼ全ての山を登り、
その道のり、特徴、頂上からの眺めを知り尽くしたハヤトは、
いま、新たな山に登り始めた。
その山の道は、時に黄色く、時に黒く、また極まれに白いこともあった。
今まで見たこともない極彩色に、ハヤトの心は高鳴った。
山に登っている時に気分が高揚したことは、初めてだった。
「この山を登りきると何があるのか、確かめたい。」
ハヤトは、いつになく早く、そして軽やかに、歩を進めた。
風を切って進んでいく彼のすぐ横を、
黄色や黒色の模様が流れ去っていった。
ハヤトは、嶺に辿り着いた。
だがそこは、暗闇に覆われており、何も見ることができなかった。
「これで終わりじゃないはずだ。
どこかに何かがあるはずだ。」
ハヤトはさらに前へ進むことにした。
いつしか彼は、山を登ることだけではなく、
山を楽しむことも覚えていた。
すると、彼の目の前に、巨大な二本の柱のようなものが現れた。
それは黄色で、渦巻きのような模様がついている。
ハヤトは、その柱を前に、どうしたらいいものか迷った。
手で触れてみたりしたが、隠し扉が出てくるような気配は全くない。
彼はやけくそになって、その柱の片方に抱きついた。
両手を目いっぱいに広げて。
するとなんと、その山は動き始めた。
のそのそと、山自身が収縮するようにして。
数百・数千の山に登ってきたハヤトだったが、
自ら動き始める山に出会ったことなど、一度もなかった。
目の前の景色が、どんどん変わっていく。
ハヤトの顔は、少年のように輝いた。
「見つけた、見つけたんだ!」
自分が果たして何を求めていたかは分からなかったが、
彼の心は何か大事な宝物を発見した気分で一杯になった。
彼は、二本の柱の間に立ち、
飽きることなくずっと、未知の世界を見つめていた。
それから、彼の姿を見た者は一人もいない。
ただ一つ確かなのは、
ハヤトの友人たちが以前と変わらず暇潰しをしているときも、
ハヤトの顔は少年のように輝いているだろう、ということぐらいだ。
ここで言えるのは、
そんな些細なことぐらいだ。