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ブログにせよ、Facebookにせよ、Twitterにせよ、ウェブ上で文章を読んでいて、よく思うことです。

括弧()ってあるじゃないですか。

ちゃんとした文章を書く人のテキストほど、その括弧()の中の文章の意味を読み解いてみるのが楽しいなと思います。

あ、ちゃんとした文章を書く人っていうより、ちゃんとした思考をする人、っていう方が正しいかも。

言わずにはいられないから括弧()を使用する

括弧()の中の文章・言葉って、本題の話とは直接は関係ないんですよ。

だから括弧()を使うわけですよね。

でも、本題とは直接関係ないのになんで書いちゃうかといえば、それはおそらく書き手として「そこは書いておきたい」「書かないでおくのはちょっと違う(場合によっては不誠実)」と思ってるからだと思います。

括弧()で補足的に説明することは、その括弧()の前のフレーズで一般的には意味が通っているんだけど「ちなみにね」とか「でも正しくはね」とか「それでもね」っていうことを付記しておきたいんですよね。

だから括弧()内の文章には、その話と直接は関係なくても、短いテキストの中に実はその書き手の知識、見解、考え方がギュッと凝縮されてることが多いんです。

括弧()内の文章に凄みを感じることもある

括弧()内の文章から何かが漂ってる人って、面白い人なんですよ。

ここで言う面白いというのは、一つのテーマについて熟考している人、そしてそれを言葉にして頭の中でまとめられていて表現できる人、っていう意味です。

括弧()内の事柄は、本題ではない以上、詳しく語られることはないです。

ただ、そこに書いてある断片的な情報だけでも「ああ、この人はこのポイントについて熟考した末の持論があるんだな」と感じることがあります。

そう、そこに凄みを感じることすらあるのです。

知り合いがそんな文章を書いていたりすると、むしろその括弧()を使っている部分について、掘り下げて訊いてみたくなる時があるんですよね。

ちなみに冒頭で「ウェブ上」って書いたのは、紙の本や新書などだと、脱線する話でも一つの段落や章で語ることができちゃうことが多いと感じるからです。

「さくっと書いた」ぐらいのウェブページ上の文章量で、それでも括弧()を使いたくなっちゃう、っていう心理がポイントなんだろうなと思います。