ここ数ヶ月で、一番印象に残ったかもしれない話。

なんだったかなー、なんかのブログかどっかの記事で読んだんですが。

お伽話の「桃太郎」って、日本人ならほとんど誰でも知ってる有名な話ですよね。
あらすじは、僕も小さい頃からいつの間にか知ってました。

でも、あの話って、最初に川の上流から大きな桃が流れて来て、それをおばあさんが拾うことから全てが始まってるわけですよね。

そのおばあさんのフットワーク、すごくないですか?
偉いですよね!

だって、川からでっかい桃が流れて来たら、普通は警戒して、触らないようにしちゃいますよ。

でも、おばあさんは何かの「チャンス」かもしれないと思って桃にしがみついたわけですよね。
それが「美味そう!」だったのか何なのかは知らないんですが。

その時点で、鬼に支配されていた国を変えるきっかけを生むアクションを起こしていたわけです、おばあさんは。

そんなわけで、何かのきっかけになりそうなものを逃さない姿勢ってすごく大切だなと思ったんですよね。
結局、世界を変えるのは、アクションを起こせる人なんだと思います。

おばあさんが桃を拾う前にも始まっていたこと

さっき「桃を拾うことから全てが始まってる」と書きましたが、この話にはもう一つ前段があります。

それは、おばあさんが毎日川へ洗濯に行っていたことです。

その「川へ洗濯しに行っていたこと」には、二つの読み解き方があると思います。

一つは、地道なことでも毎日やることの大切さ。

洗濯っていう毎日やらなきゃいけないけど地味なことを、毎日やっていたからこそ、おばあさんは桃が流れてくる日を逃すこともなかったわけですよね。

もう一つは、ルーティンの中のイレギュラーを見逃さないこと。

毎日同じような作業をしていた中で、でっかい桃という特異な出来事を逃さないアンテナ・姿勢を持っていたんですよね。
おばあさんは、どこか特別な場所に「何かを見つけよう」と思って出かけていたわけではない、というところが面白いと思います。

例えばアンデルセンの童話は隠喩が多いと言われたりしますが、こうして考えると童話やお伽話っていろんな含蓄があったり、奥深かったりするんですねー。