こないだ「ほんとその通りですよね!」と思った文章。

古川裕也さんが書いてたコラム。

彼女は何と何と何と何でできているのか | AdverTimes(アドタイ)

ここで言う「育ち」とは、当然、家が金持ちとかは1ミリグラムも関係ない。

今までの人生で、どれだけいいものを見て、どれだけいいものを聴いて、どれだけいいものと接してきたか。

今までの人生で、どれだけ自分のアタマで考え、どれだけ自分のコトバで話してきたか。

今までの人生で、受けてきた愛情の質と量の総体。

というような意味内容を「育ち」と謹んで呼びたい。

話がだんだん感じ悪くなってきてるが、ひとつめも、知識・勉強のようなことだけを指すのではなく、年中一緒にいる人、なんとなく近くにいる人、初めて出会うリスペクトできる人、いわばコンテンツとしての人々が決定的な作用を及ぼすことを指す。

「育ち」というのは幼年期だけではなくて、年齢がいくつになっても変わらず存在し続けるもので。

30代になってから急激に育つ人もいれば、60代になってからの「育ち」に失敗しちゃう人もたくさんいると思う。

何から変えればいいのか

でも「受けてきた愛情の質と量の総体」って言うけど、そうやって愛情を受ける場がねえんだよ!っていう話もある。

そういう場合は、たぶんまず自分から疑ってみた方がいいと思う。

いい人と出会えないのは、周りの環境のせいも半分はあるだろうけど、もう半分は自分のせいだったりするし、自分の意識を変えれば景色が変わることもたくさんあると思う。

周りを変えるのは難しいけれど、自分を変えるのは意外と簡単だったりもするので。

こういうこと、自分がTwitterでしょっちゅう話しちゃうテーマでもあるけど、でもほんとそうだと思う。

あと、最近自分がふぁぼったあたりだと、こういうこととか。

僕が好きなACIDMANっていうバンドが「たった一瞬で世界は変わる」って歌ってるんですが、それってそういうことなのかなとも解釈してます。

Free star たった一秒で
Free star 世界は変わる
「FREE STAR」(ACIDMAN)

自分を変えていくしなやかさって、結局その人が幸せになるための最善の道だったりするんじゃないかと思います。