今日の自分のツイートをきっかけに、ちょっと思ったこと。
わたしはM気質なので壁とか障害とかの言葉が大好きなんだけど、どんなに努力しても越えられない壁に対してはどうなんだろうと考えてたら、それに対してはアッサリ諦めて他の壁を見つけてるな自分、と思った。
— いぬたくさん (@inutaku_) 10月 11, 2012
自分はM気質だと思ってるのですが、「それって乗り越えられる壁が前提なんじゃね?」と思案することがよくあります。
つまり、「努力では乗り越えられない壁にそれでも蹴落とされることが好き」でないと、本当のM気質とは呼べないんじゃね?と。
そう考えて、自分がどうしても越えられない壁を目の前にした時にどうしていたかを振り返ると、僕はそれはスパッと諦めてることに気づきました。
(だから本質的なMではないのかも)
小さい頃、ピアノを頑張っても全然弾けなかったこと
母親がクラシック音楽の仕事もしているためか、小学生の頃にピアノを習ってたことがありました。
ただ、ピアノは自分なりに努力や練習を重ねてもなかなか思い通りに弾けなかったんですね。
その頃から、努力をするのが好きな子ではあったと思います。
努力して何かに到達したりクリアしたりするのが好きだったんですよね。
それは勉強でもゲームでもスポーツでもそうなんですが、いくつかの分野で少しうまくいくと、自分なりの”努力のやり方”が分かってくると思います。
ただピアノに関しては、自分的に「これぐらい努力を重ねればこれぐらい上手くなるんじゃないか」っていうイメージに全くついてこなかったんですよね、自分の腕が。
その頃は母親の目もあったのでなかなか言い出せなかったのですが、「これだけ努力してもイメージ通りにならないってことは、自分にピアノは合わないんだろうな」と思ってました。
努力の矛先を変えられるのは大人の特権かもしれない
子どもの頃はそのピアノを止めるのに何年かかかったのですが、その点、大人ってむしろ可能性がたくさんあるんだなと思います。
(この場合の大人って、社会人じゃなくてもある程度自立した学生でもOKかと)
だって、何に興味を持つかも自分次第で、それにどれだけエネルギーを注げるかも自分次第なわけですよね。
それが自分に合わないなら見切りをつけることもかなり自由にできます。
そして、その「自分に合う感じ」を見極めるフィーリングや勘も、徐々に精度が上がってくるんだとも思います。
(とはいえ常に全問正解っていうより時々エラーをした方がいい気はしますが)
そう考えると、可能性に触れられる可能性があるのって楽しいな、と思いました。
そんなことをつらつらと思った、今日の帰り道。