明日からROCK IN JAPAN FESTIVAL 2009に行ってきます。
(ほんとに最近、音楽の話ばっかりになってるな…)

このロックインジャパンフェス(以下、ロッキンと略)は、今年で10周年。
僕は2000年の初回に参加して以降、
肩を怪我していた2004年以外は毎年の9回に参加している。

驚くことに、そして幸運なことに、僕の20代はロッキンと一緒に歩んできたということになる。

20歳だった2000年に、第1回のロッキンに行き、
初めてロックフェスというものを味わった。

その後も、ロッキンには毎年行きながら、フジロック、ライジングサンをはじめとして、
福岡や愛知の小さめの野外フェスまで、いろんなところに行って、野外で音楽を聴いてきた。

いろんな土地に行き、
いろんな音楽を聴き、
いろんなアーティストを観てきたわけなのだけれど、
昔から変わらないのは、ロックインジャパンフェスが僕にとって最も大切なフェスであること。

2000年、台風の中でTHE YELLOW MONKEYの「パール」を聴いてから、
僕の中でのロックフェスの歴史がごろごろと音を立てて始まった。

破れたレインコートの背中からは水が大量に入ってきていて、
ロックフェスでの雨具の重要性も同時に学んだ。

そして今年、10回目のロッキンを迎えた僕は、29歳になっている。

ロックインジャパンフェスを、そして夏のロックフェスを知る前の自分は、
何を理想郷と思っていたのだろう。
どういう人間がどういう風に過ごす世界のことを、理想だと思っていたのだろう。

今となっては20歳の自分がどう思っていたのかを思い出せないが、
おそらくこれといった具体的なイメージなんぞなかったと思う。

学校とか、社会とか、世界とか、
それらは僕にとって漠然と“生き難いところ”“住み難いもの”ではあったが、
それでは世界をどういう風に変えたらいいのか、というのは分からなかった。
「こういう世界がいいんじゃないだろうか」という着地点やゴールは、見えていなかった。

何かに対して不満を言うのは簡単だが、
それに代替するものを考え出すのはよっぽど難しい。

じゃあ、今はどうなのか。
今の僕は、何を理想郷だと思っているのか。

その一つの答えが、
ロックインジャパンフェスの3日間であり、あの広い空の下の空間なのだ。

もちろんそれは永続的なものではなくて単なる“お祭り”ではあるし、
我々オーディエンスは金を払って行っているわけだから、
ライフサイクルとして持続するかと言えば、全くそうやって成り立つものではない。
(主催者側だって、あれを毎日やっていられるわけでもない)

とはいえ、「どういう世界に住んでいたいか」「どういう世界がいいのか」と訊かれたら、
現時点で僕のベストに最も近い答えは、「あの3日間のひたちなか」なのだ。

なぜなら、
そこではみんなが自分の楽しいことをしながらも、
それでいて同時に相手のこと・周りのことを気遣う、という世界が確立されつつあるから。

いや、完全にそうではないのは、もちろん分かる。
というか、ここでの話は、「もちろん、○○ではあるのだが」という注釈的な譲歩つきでしか語れない。

ツッコミどころはあるのだけれども、
それでも僕がこのロッキンの3日間、そしてあの場所・空間を理想的なものだと思っていることは真実。

一昨年だったか、去年だったか、
ELLEGARDENの細美さんがステージ上でこんなようなことを話してくれた。

「みんな、普段の暮らしではちょっとずつイヤな奴になったりしちゃうこともあると思う。
 けど、今ここにいるお前らが本当のお前らだってことを、
 オレは知ってるから。分かってるから」

これを聞いた時に、まさに自分が感じていたことを言葉にしてくれたのだと思った。

そう、普段の生活では、僕ら(=ロッキンに来るような人・ロッキンを愛してるような人)は、
時に仕事や社会生活に疲れていたり、息苦しかったりして疲弊してしまい、
その結果、人を傷つけてしまったりすることもある。
自分の意思とは正反対に。

けれども、あのロッキンの場では、あの芝生の上では、
みんな音楽という喜びを享受できているおかげもあって、
いつもよりも人に優しくできたりする。

「そういう自分もいる」
「そういう自分に戻れる場所と音楽が、日本にある」
ということを認識できることは、とても大切なことだ。

それを認識できているおかげで、
今度はそれを日常に還元することもできる。

日常生活の中で、
「ロッキンの時には人に優しくできたのだから、今も優しくしよう」
と思えたりすることが起きるようになる。

ロッキンという一つの“理想の形”を知ることができたから、
そういう意識を持つことができるようにもなる。

そんなことで世界は変わらないかもしれない。
だけれど、無意味なことだとも思えない。

我々は、見えないゴールを探してそこに向かうよりも、
ある明示されたゴールに向かって進む方が得意だろうし、ずっと進みやすくもある。

だからこそ、ロッキンには感謝したい。
ロッキンに出会えていなかったら、僕の20代は全く違うものになっていた。

そして、今年もまたあのひたちなかの地に戻れることを嬉しく思う。

来年行くときは30代になっているが、音楽を楽しむのに年齢は関係ない。
ロッキンが続く限り、ずっとずっと通っていたいと思う。

まあ、小難しいことを書いてしまったが、とにかく楽しみなんだ!
こんなことを言いながらも、まずは3日間を楽しむことしか考えていないのだ!!

そういうわけで、明日からひたちなかの地へ行ってきます!